Abstract: Nishino Haruo (2006)
能面 『雪鬼』考
発表者が〈雪鬼〉と思われる能面に出会ったのは、1997年2月、フィレンツェにあるシットベルト美術館での能面調査の時であった。それは、山に棲む鬼女山姥を主人公として、山姥の山廻りのさまを描く能《山姥》の、後シテのみに用いる特殊な面〈山姥〉とほぼ同じ形だが、眉が違うのである。ヤマアラシのような突き立った眉の〈山姥〉に対し、その面は小面(こおもて)や増女(ぞうおんな)などのような常の女面と同じく、高い黛が描かれていた。
その4年前の1993年、国立能楽堂第4回研究公演で、雪鬼の女(雪の精)をシテとする廃絶曲《雪鬼》を復曲上演した際、発表者は能本を作成し、この時は、清浄たる美しさを表現すべく、気品のある〈増女〉を用いたが、この面こそ室町中期の演出資料『舞芸六輪之次第』に「山姥のごとし」とある〈雪鬼〉の面につながるのではないかと直感し、日本では失われたと思われる能面がイタリアにあったことに驚いたのであった。